コラムColumn

反魂丹むかし話(江戸城での出来事)

2024年7月11日

富山の薬屋、池田屋安兵衛商店です。

反魂丹にまつわる昔話をもう一つ。

 

それは江戸城での小さな出来事だった。

 

元禄3年(1690年)、富山藩主、前田正甫公が江戸城に参勤したときのことです。

諸大名が居並ぶ中で、三春城主、秋田河内守が突然の腹痛を訴えられました。

正甫公が印籠から反魂丹を取り出して勧めたところ、たちまち腹痛が治ったのです。

あまりの薬効の早さに驚いたのが、その場に居合わせた諸大名たち。

「自領内で販売してもらえないだろうか」の申し入れが相次ぎました。

元来仁慈の志深い正甫公は市中の薬種商 松井屋源右衛門なるものに製薬を命じ、商人の八重崎屋源六をして諸国行商を行わせました。

他国との交流を嫌った藩政時代としては異例のこと。

これが、富山の薬の起源です。

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It happened in Edo Castle

 

反魂丹むかし話(とやまの民話より)

2024年7月11日

富山の薬屋、池田屋安兵衛商店です。

 

反魂丹にまつわる昔話を。(とやまの民話より)

 

むかーし昔のことじゃった。

ある武士の母親が重い病気にかかりました。

いろいろ手をつくしたものの、症状は悪化するばかり。

あとは神仏に頼るしかないと、立山に登り一心に祈願しました。

するとその夜夢の中で阿弥陀如来から妙薬の作り方を授かったのです。

急ぎ帰ったものの、一足違いで母は亡くなっていました。

嘆き悲しみながらも武士は薬を調合し母の口に注ぎました。

するとどうでしょう。

母は生き返り、病気も治っていました。

阿弥陀如来に「まだ来るの早い」といわれ、

不動明王尊に「早くかえれ」と背をたたかれたそうです。

つまり身体に魂を返してくれる薬というのが 反魂丹の名の由来です。

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A folk tale about Hangontan

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