創業昭和11年、初代池田実が現在の地に和漢薬種問屋として暖簾を掲げました。
戦後まもなく江戸時代に一世を風靡した「反魂丹」の製造販売を始めました。
現在も日本の伝統薬を中心に、和漢薬の世界を追及しています。
染め抜かれた角三の屋号は、「信用」「伝統」「研鑽」の三つを極めよ―という家訓を表すものです。
反魂丹の歴史は古く、江戸時代の中期にまでさかのぼります。
富山藩の二代目藩主・前田正甫公は、元来薬草の研究家と知られ、城内には立派な薬草園までありました。
そして備前の医師・万代常閑から製法を伝授された反魂丹を、城下の薬種商・松井屋源右衛門に命じて製造を始めました。以来、藩の厳しい統制の下、原料の品質や効き目の確かさで確固たる地位を築き上げていったのです。
富山の薬売りは、置き薬(先用後利)という独特の販売方式を構築し、全国津々浦々、どんな辺ぴな場所までも薬を届けました。
明治政府による西洋医学の導入は、それまでの日本の伝統薬を否定し、多くが廃止に追い込まれました。
反魂丹も同様の運命にさらされ、代わって西洋薬の影響を受けた多種多様な薬の製造が始まります。そうして明治、大正、昭和の時代の中で、富山の売薬業は県を代表する産業へ育っていったのです。
池田屋安兵衛商店は戦後まもなくの薬の製造を始め、越中反魂丹を現代の人々にも通用する新しい形の和漢薬として復活させ、その精神を今に引き継いでいます。
和漢薬は、症状のほか、その方の体力や体質などの証(しょう)に応じて処方されます。この証をより詳しく正しく導き出すために、お客さまとしっかり向き合い、じっくりお話をお聞きすることが大切だと考えています。
店頭では、かつての丸薬製造を無料体験していただけます。見ていると簡単そうですが、やってみると意外にこれが難しい。ワイワイ、ガヤガヤ、旅先の忘れられない体験になるでしょう。